佐川急便で働いた経験を活かし、タクシー業界のトップを目指す

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20代のあの頃のように熱く働きたい。52歳で見つけた本気になれる会社は、国際自動車のタクシードライバー

2015.10.27 Tue

カテゴリー : ◎タクシードライバー(キャリア入社)


PROFILE.
齋藤浩二(サイトウ・コウジ)。52歳。羽田営業所2課4班所属。25歳の時に大手配送業者S社に入社し、約25年間同会社で活躍。(取材:2015年9月10日)

「情熱を失ったとたんに、仕事は面白くなくなる。タクシー業界に入った以上はトップを目指しますよ。じゃないと、つまらないじゃないですか」

タクシードライバー齋藤浩二、52歳。落ち着いた雰囲気ながらも、相手の目をまっすぐ見る視線は強い。

新人ドライバーの月間平均営業収入は60万円だが、齋藤さんは入社後わずか半年で、91万円という月間営業収入をたたき出した。会社からの期待が大きいキャリア採用者だ。

しかし、彼は自分がタクシードライバーになるとは全く考えていなかった。前職は大手配送業者S社。知り合いがタクシー会社に転職したと聞いた時は「そんな仕事よく出来るな」と思っていたという。終日座って人を待ち続けるような受け身の仕事は苦痛だろうと。

そんな齋藤さんが何故、国際自動車のタクシードライバーという仕事を選んだのだろうか?期待の新人として活躍できている理由は?答えは齋藤さんの経歴にあった。

前職で学んだ働く上でのルール

昭和63年、25歳の時に齋藤さんは大手配送業者S社に入社した。「今思えば、めちゃくちゃハードな働き方だった」と笑いながら振り返る。当時のS社の勢いは凄まじく、やる気に満ち溢れた体力自慢の若者たちが集まっていた。成長企業の一員として働けるプライドを齋藤さんは強く感じていた。

給料はうなぎ登りで、当時の月給はおよそ80万円。年末に残業が増えると90万円に達した。もちろん、仕事は猛烈に忙しい。早朝に荷物の積み込みを終えると、集荷表をもとにどうすれば効率良く配送できるかを計算。運転をしていない時は、重たい荷物を持って全力で走り続ける。ジムに行けば「アスリートですか?」と聞かれるほど体力がついた。

当時は深夜まで働くのは当たり前。集荷の最終は22時30分なので、会社に戻るのは24時。冬でも頭から湯気が出るくらい熱く仕事ができた時代だった。金銭面にも困らす、充実した毎日を送っていた。

社員旅行で韓国へ

25年間働き続けた齋藤さんがS社で学んだことは、「勤勉に働く大事さ」と「精神的な強さ」だという。当たり前に聞こえるかもしれないが、体力・気力ともに120%の力を注ぐことを求められる社内においては容易ではない。

それでも出来たのは「超成長企業で、自分は成果を出し続けているんだ」というプライドだった。入社して5年間は配達員、30歳で班長。その後係長、課長と順調に昇進していった。

50歳を手前にふと感じる。「もっと貪欲に生きたい」

働き盛りと言われる20代、30代、40代をS社一筋で駆け抜けてきた齋藤さんであったが、50歳を目前に控え、ふと自分の半生を振り返ってみた。熱く走ってきた選択に後悔の気持ちは全く無い。良い会社に入ったと思うし、人一倍走り、人一倍部下のことを考え、並々でないエネルギーで取り組んできた。

ただ、まだ何かが足りない気がした。自分はもっと成長も挑戦も出来るのではないか?50代になっても貪欲に、熱くいたい。20代の時の夢は何だっただろうか。現状に満足せず、常に上を見続ける齋藤さんはS社を去り、新たなキャリアステップを歩むことを決意した。

国際自動車との出会い。「タクシードライバーは本当に稼げる仕事なのか?」

タクシードライバーの給与についてきになる方は↑上の画像をクリック!

タクシードライバーが最初から候補にあったわけではない。インターネットで転職先を探している時に、偶然「km」という文字が出てきたのがきっかけだった。採用サイトを見てみると、「働き方も給与も自分次第」という印象。すぐに電話をして、説明を聞きに行った。対応が想像以上に迅速で丁寧だったこともあり、期待感は自然と高まっていた。

「一番知りたかったことは、タクシードライバーが稼げるかどうかということです」

今までの給与水準を下げたくなかった齋藤さんは、面接担当者からタクシードライバーの給与システムを詳しく聞いた。「思っていた以上に、しっかり稼げそう」と思った理由は、完全歩合制というポイントである。ドライバーの収入は営業収入の約半分。やればやるだけ稼げるシステム。やりがいを求める齋藤さんにはピッタリだった。こうして2015年1月、国際自動車でタクシードライバーとしての新たなスタートをきった。

実力で勝負できるのがタクシーの世界。「業界トップを目指す」

配属して3か月間は32万円の月給保証制度がある。その保証期間が終了した翌月、齋藤さんはいきなり91万円の営業収入をたたき出した。月収は45万円強。未経験から始めたとは到底思えない数字である。所属する営業所でも上位に位置している。今後テクニックや仕事の要領を覚えていけば、90万円の営業収入はコンスタントに達成できる見通しがある。100万円の大台も目と鼻の先だ。

タクシードライバーは上司の顔色を窺ったり、同僚の動きを気にしたりといったいわゆる「社内営業」の必要が全く無い。仕事の出来は職場の人間関係に左右されることなく、自分の実力だけで勝負が出来る。もし成績が上がらないのであれば、自分のやり方が間違っているか、努力が足りないだけというシンプルな世界だ。

前職では与えられた仕事をいかに効率よくさばくかを頭と身体を使って考えていた。現在の仕事は「自ら仕事を創造する」ことが求められると齋藤さんは感じる。単に都内を走っているだけでは無難にしか稼げない。稼ごうと思えば、努力と戦略が必須だ。

ある時期、営業収入が芳しくないことがあった。原因は乗務に慣れたことで「今日はこのくらいでよいか…」とだれるようになってしまったこと。あと1組お客さまをお送りして営業所に帰庫するか、このままで帰庫するか。長時間の勤務をこなして疲れを感じる時に「もう1組」の選択をできるか否かが高額の営業収入への分かれ目となる。

このままだれて、成績が下がり続けてしまうのか?そんな齋藤さんを助けたのは前職で学んだ「勤勉に働く大事さ」と「精神的な強さ」だった。重たい荷物を持って走り回っていた頃、疲れ切った身体に鞭を打ってあともう一歩と諦めなかった日々を思い出す。仕事が終わりかけで気が緩みそうな時ほど、あともう少しと踏ん張りをきかせ、お客さまを探した。

「前職で教えてもらったことは、仕事をするうえで自分の土台になっています。タクシードライバーになってからもその学びは活きていますね」

タクシードライバーはリストラされたサラリーマンの逃げ場なんかでは決してない。むしろ、情熱を持って全力で働いていた20代の頃の気持を思い出させてくれる。

「この業界に入った以上はトップを目指しますよ」

50代の自分が、本気でそう思える仕事に出会えたことを嬉しく思っている。今日も齋藤さんは、情熱をもって東京中を走り続けている。

編集後記

実はお孫さんがいらっしゃるという齋藤さん!おじいちゃんには全く見えない、がっしりとしたダンディな方でした。

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